デートなんてそんなにしたことはないけれど、一番幸せな瞬間のひとつて、待ち合わせ場所で相手がこっちに気付くよりも先に偶然相手をみつけることだと思う。今この瞬間、世界でたった一人、自分をまってくれている人がいること。それってすごく幸福だと思う。
大好きな人なら、なおさらね。

でも、その幸福が永遠につづくなんて、信じられるほど
もうそろそろ子供じゃない。


『改札付近にいる』

『わかった、すぐに行くね』


約束の時間よりも早くきたつもりだったけど、やっぱり柳はこちらを待たせなかった。
メールに返事をうって、電車のドアが開くのと同時にポケットに携帯をしまった。
足早に改札出口への階段をかけ下りる。

最初、あたしを待つ柳の姿をみた時、一瞬すぐに声をかけるのをためらった。
日曜日の駅前にポツーンとたたずむお洒落で、ちょっと様子の良い男の子たちなんて、皆どこかそわそわしてて「カノジョがこれから来ます」て感じだ。柳もいかにも、まだ来ないカノジョを待ってます、て風情でその子たちに混ざって改札付近にたたずんでいる。その様子が普通の男の子ぽくて(普通の男の子なんだけど)可愛くて(これはあんまり普通じゃない)笑ってしまいそうになる。柳はまだあたしに気付いていない。ずっとその姿を目に焼き付けておきたいけれど、時間に遅れて柳に嫌われたくないから小走りでかけよった。見慣れている制服ではなく、新鮮な普段着姿の柳に近づく度にドキドキと心臓の音が高鳴る。あ、柳、Tシャツ着てる。あたしに気付いた柳は、穏やかに微笑んで、こっちだという風に軽く手をあげた。目にカメラがついてたらなあ、と思った。今この瞬間、シャッターを切りたい。

「そんなに慌ててかけよらなくても良い」

「うん、でも待たせたくなかったから」

「約束の時間まで、まだ5分もある」

「けっこう待った?」

「気にするな」

「あー・・・柳のことだからもしかして30分前とか?」

「いや」

「えーと・・・・1時間前とか?」

「まさか」

「もうちょっと前?」

「昨日の夜からだ」

「はあ!?え!!??」

「大変だったんだぞ?蚊に食われるわ、変質者扱いされるわ」

「・・・ほ、ほんとに?」

「冗談だ」

「真顔でいわないでよ、気が狂ったかと思ったよっ!」

「驚かせたか、すまなかったな」

「本当にもう」

「いくらも待っていない、だから本当に気にするな」

「ま、いっか、あたしも5時起きだし」

「・・・・本気か?」

「嘘、ちゃんとぐっすり寝ました」

「お前の冗談も中途半端にわかりにくいな」

「へへ」

呆れ顔の柳を促して、歩き出した。
本当は5時じゃなくて4時起きだったんだけど、それは黙っておいた。
今日が楽しみすぎてびっくりするぐらい早起きしてしまったなんて、恥ずかしくて言えない。それに今日のために着ていく服を選んだり、メイクを悩んだり、歩きやすい靴にするか可愛いヒールを履くかを迷ったりする時間は、女の子ならわかると思うけれど、結構楽しいのだ。

「人が多いな」

「うん」

「足元、気をつけろ」

「うん、うわっ・・!と」

「言った側から・・・」

ぎゅっと柳が、誘導するように手を繋いできた。
背の高い柳の隣だと、大きな木に守られているようで安心した。
ちゃんとカップルぽくて何だか恥ずかしくもあった。
手を繋いだ二人の黒い影が、燦燦と太陽の光がまぶしい歩道に落ちる。
すいすいと、いざなわれるように歩いた。

久しぶりに訪れた江の島は、夏らしくたくさんの観光客で賑わっていた。
横浜から1時間ほどの場所にある人気のリゾート地だ。まわりを海にかこまれ、泳ぐ人々やサーフィンなどを楽しむ人も多い。夏休みが近づいた、ある日の放課後、クラスのみんなで海にいこうという計画がたって、けれどスケジュールを確認したら結局それぞれ用事があって都合があわなかった。しょんぼりとしていたら、その時隣にいた柳が「二人でいかないか?」と耳元で小さく囁いた。嬉しさでびっくりしたあたしが柳を見上げたら、秘密だよという風にシーと口に指をたてた。感の良いクラスメイトが「そこー何こそこそやってんだよー」と囃し立てても「何でもない、海に行けないのを残念がっているだけだ」としらっととぼけた。普段はそんな素振りなんて見せないのに、柳はときどき大胆な行動をする。

江の島には食べ物や、アクセサリーや、お土産などを売っている沢山のお店があって、浴衣姿や水着姿の人々が楽しげにひやかしている。みんな日常から離れて思い思いのリラックスした表情で笑いあっている。あたしたちもそこに混ざって面白そうなお店をのぞいた。
アロハシャツを専門に売っているお店があって、サプライズで銃と真紅の薔薇がデカデカとのった物騒なアロハシャツを冗談で柳にかざしたら、長身でスタイルのいい柳は、思いのほかに何でも似合っていて笑えなかった。お返しに柳がフラガールの衣装を「どうだ?」とすすめてきたもんだから慌てて店外に逃げた。

まったくもう、柳に何か悪戯すると100倍にして返されるなーとか思っていたら、追いかけてあたしに追いついた柳が、どうぞという風に何かを一輪差し出してきた。
オレンジ色の花?


「何コレ?」

「髪に飾るんだそうだ、似合うと思うからさしてみたらどうだ?」

「ブーゲンビリヤの花?」

「そうだ」

「どこから?」

「先ほどの店の店主に、土産にもらった」

「へえ」

「可愛い彼女にどうぞ、てな」

「・・・あ、ありがとう」


そっと、左側の髪を耳にかけて、ブーゲンビリヤの花を耳元にさした。
それをみた柳は目をほそめた。


「やっぱりな」

「?」

「俺の可愛い彼女は、花がよく似合う」


耳まで、恥ずかしさで真っ赤になりそうになった。
柳はやっぱり大胆だ。

そのまま、また手を繋いで賑わうお店をのぞいて歩いた。


「暑いな、流石に海辺近くは日差しも強い」

「ねえ、柳、アイス食べない?」

「ちょうど良い、俺もそう思っていた所だ」

「あたし買ってくるよ」

「いや、俺が買ってこよう、そこの日陰でまっていろ」

「あーうん、じゃお願いしていい?ありがとうね」


アイスの看板を出ているお店に向かう柳の後姿を見送って、あたしは指定された日陰まで移動し涼んだ。今日は本当に暑いなーとか思いながら空を見上げた。
冷たくて甘いアイスが待ち遠しかった。

ふと、潮の濃い匂いがした。
風がふき、ひときわ大きな波が遠くの海岸にうちつけられるのが見えた。
きゃあ、と人々の歓声がエコーのように聞こえる。白い波打ち際の光はまぶしく、ここまで激しい飛沫が頬に飛んできそうだった。いつもならこの時間は、静かな教室で教科書をひらいている頃だ。つんとした、塩っぽい海の匂いが鼻をつく。覆われるような真っ青な空がすぐそこまで迫っている。たったそれだけの変化なのに、あたし自身が何にも変わらないはずなのに、何だかずいぶん遠くまで来たような気がした。

柳が買ってくれたアイスは甘く、つめたく、小さい頃に舐めたミルクキャンディーの味がした。観光地ぽい、懐かしい味だ。そのままアイスを食べながら、柳と海岸近くまで降りた。
ゆっくりと波うち際を歩いて、波がとどかない、綺麗に海が見渡せる場所に腰をおろした。
遠くに点々とカラフルな粒がみえて、波がひくとサーファーボートだとわかった。

飽きるともなく、そのまま海を眺めた。
隣をみれば、柳もまた打ち寄せる波を静かに見守っていた。
何だか、こんな遠くまでつれてきてくれた柳に感謝したくなった。


「ありがとうね」

「どうした?いきなり」

「ううん、柳と海がみれて嬉しいだけだよ」

「なんだ、そんなことか。お安い御用だ」

柳が丁寧に微笑んだ。
そのまま、また沈黙が二人を包んだ。

海は不思議だ。
遠くからだと、果てしない青い闇が支配する恐ろしい化け物みたいに見えるときもあれば、近づけば、近づくほどその美しい雄大さに魅入られてゆく。

Tシャツからのぞく柳の腕が、そっと優しく右腕にあたっている。

ふと・・・これから10年後も、今のこの瞬間を思い出すだろうか?と思った。
今日という日の、乾いた真夏の光の輝き、潮風でなびいてからまる髪、繋いだ柳の手の感触、舌に残る甘ったるいアイスクリームの味。
幸せな瞬間がずっと続くなんて、信じられるほど、もう本当は子供じゃないけれど

できれば思い出したいと思った。
たとえ10年後に、柳と別れ、柳の居場所がわからなくなったとしても。
それよりもずっと前に別れたとしても、今日一緒に見た海の色は忘れたくない。
幸せすぎて、いつか、すべてが壊れてしまっても。

ひときわ強い風が吹いて、耳元のブーゲンビリヤの花を、ふわりと海へと飛ばしていった。

「あっ」

オレンジ色の花が海の泡となって消える瞬間、肩に手がまわされ、永遠に忘れられない瞬間が唇に刻印された。





130721 海は感傷的にさせるよね。